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野沢菜物語

野沢温泉では、野沢菜を作る畑を「麻畑」と呼んでいます。晩秋に蒔いた種は5月に入ると1メートル近くに成長します。
そしてレモンイエローの菜の花が鮮やかに村々を埋め尽くすのです。
うっすらとした黄緑色の茎の上にひろがる黄色いカーペットのような、それは一瞬、見る人の心を覚醒させるようなキラキラと輝く風景です。
菜の花が散るとやがて種の収穫が始まります。6月上旬から7月上旬にかけて、梅雨の晴れ間を見つけて収穫します。
これを軒先につるして陰干しにして、良くかわいたところで棒でたたいて種を取るのです。健命寺で収穫された種は寺種として全国各地から買い付けに問屋さんがやってきます。
そして取り入れのすんだ菜畑では、株を抜き取り菜がらを焼きます。このあと、除草をし耕し、有機肥料をたっぷりすき込んで、再び種まきに備えるのです。

漬け菜用の野沢菜の種まきは、「7夜盆」といわれる8月27、28日頃までに行われます。長野市などの善光寺平では、白露の頃の9月前後が種まきの適期ですが、雪の早い野沢では種まきも早まるというわけです。野沢の夏は短く、7夜盆をすぎると朝晩はめっきり涼しくなります。
種を蒔いてから3日もすれば芽を出します。5、6日して一番間引きをします。これを湯がいて食べるわけですが、野沢の人たちは「鯛の刺身よりうまい」といって、この野沢菜の初物を珍重します。間引きは10月中旬までに5回ほど行われますが、「3番間引き」以降は10センチ以上になり、これは「当座漬け」にします。

あの道祖神祭りの御神木をブナ林へ引き出しにゆく頃、冬は毛無山からやってきます。野沢菜の収穫が始まるのもその頃。11月初めから半ばにかけて村の菜畑のあちこちでは忙しい取り入れが行われます。そして、北信濃の風物詩ともいわれるお菜洗いが始まるのです。早い年では、初雪も舞い、季節は晩秋で野沢はもう初冬、木枯らしが上ノ平高原の黄金色に輝くブナの葉を吹き飛ばしてゆく頃です。
でも、お菜洗いは外湯の中。野沢の女性たちは、ここで世間話に興じながら、ていねいに1メートルほどもある野沢菜を洗うのです。洗い清められた菜は、一石桶と呼ばれる大きな桶に、各々の家伝の教え通りに大量に行われるのです。年が明けて、あの雄壮な日本3大火祭りの1つ「道祖神祭り」がはじまる頃には、美味なる野沢菜漬け(お葉漬け)が味わえるようになります。

野沢菜の歴史

『野沢菜』とは、宝暦年間(1751~1763)、野沢温泉村健命寺第8代住職晃天園瑞大和尚が
京都遊学の際持ち帰りし天王寺蕪の種子が当村の地味に合い、美味なる「お菜」に突然変異したものである。

野沢菜発祥の秘密

信州人にとってなくてはならない味「野沢菜」。
野沢温泉はその本場であり、歴史をたどれば今から約250年ほど前にさかのぼります。野沢菜の原種を生産する野沢温泉村健命寺の口伝によると、宝暦年間(1751~1763)に、当時の8代目住職の晃天園瑞和尚が京都遊学の折に、京都・大阪で名産の天王寺蕪の種を持ち帰り栽培をしたことがはじまりだとされています。その種を寺の庫裡裏の畑にまいたところ、蕪が小さく葉柄が大きい天王寺蕪とは違ったものが育ちました。

野沢温泉は標高600メートル近く、積雪量の多い高冷地です。温暖な西国育ちの天王寺蕪は、ここですっかり突然変異をおこし、野沢菜が誕生したわけです。晃天園瑞和尚は、今の中野市新野、田川五兵衛の次男として生まれ、新野にある松川寺八世徹眼台道和尚の弟子になりました。後に、飯山市小境の弥勒寺11世になり、ここから健命寺8世になられました。前述したように種子の導入をされ、その後木島平村高石の泉龍寺の11代住職となり、布教と野沢菜の普及に努力され安永4年(1775)亡くなっています。

江戸時代頃から野沢温泉は湯治場として知られていました。大正時代になると、スキー場が開設され、以後日本のスキー史とともに歩んでいる野沢温泉には、スキー客や、湯治客がたくさん訪れました。
その時に、スキーヤーや湯治客たちは、蕪菜のおいしさに感激し、地名のついた野沢菜が定着していったとされています。野沢菜という呼び名はあとからつけられたもので、蕪菜と呼んでいました。健命寺の寺種の袋には今でも蕪菜・蕪種と書いてあります。
また、地元の人は、お菜やお葉漬けと呼んでいます。

第二次世界大戦後には、野沢温泉には入り込み客が急増、またマスコミが食文化として野沢菜漬けを盛んに取り上げるようになり、全国各地に野沢菜は普及していきました。
野沢菜は信州の食文化として、今でも多くの人に愛され続けています。

お婆ちゃんの味 おふくろの味 野沢温泉の味 「野沢菜」わが家味自慢

◎一番間引き

野沢温泉では「鯛の刺身よりうまい」と言って珍重されている一番間引き。種を蒔いてから5〜6日後に間引きをします。これを麻釜で湯がいたりして食べます。その後も10月中旬まで5回ほど間引きが行われます。

◎浅漬け

共同浴場でのお菜洗いが終わり、水をよくきったらいよいよ漬け込みです。
母から娘に、姑から嫁に伝えられた方法で昔ながらの「一石桶」に漬け込まれた野沢菜は各家庭で味が異なるわが家の味です。
浅漬けとは漬け込んだばかりのもの。青々としていて、シャキシャキの歯触りで人気です。

◎本漬け

本格的なスキーシーズンを迎える12月中旬になると本漬けが食卓にあがります。
べっこう色をしていて、丸みのあるやわらかさと深い味わいになっています。一度に食べる分だけその都度、漬け樽から取り出して、すぐ頂くのが最も美味しい食べ方です。
空気に触れるとたちまち酸化が始まってしまい色や味が落ちてしまいます。
根に近い茎のところが歯ごたえもあって最高においしいです。

◎時漬け

野沢温泉では上記の浅漬け・本漬けに加え、「時漬け」と呼ばれる野沢菜の切り漬けが食されます。各家庭によって味付けは異なりますが、基本的なレシピは以下のとおりです。

◆材料
 野沢菜 1kg, 塩こんぶ ひとつかみ, 唐辛子 少々
◆漬けダレの材料
 砂糖60g, 醤油180ml, みりん80ml, 酢60ml, しょうが少々
(漬けダレの材料は混ぜて軽く煮立たせ、粗熱を取っておく)

◆作り方
1.野沢菜を洗い、葉の部分をちぎり落として少なくする。
2.3~4cmに刻む。
3.塩こんぶと唐辛子を混ぜる。
4.漬けダレを入れて軽く重石をし、涼しい場所に置く。

◎野沢菜いため

酸味が出てきた頃の野沢菜漬けを、野沢菜いためにしていただきます。
野沢菜いためは、酒のつまみに、ごはんのおかずに、またお茶漬けにしてもおいしくいただけます。

◎野沢菜の酒粕煮

野沢菜は漬けはじめてから2ヶ月ほど経つと乳酸菌発酵により酸味が出て食べ頃になりますが、
さらに進むと味が次第に落ちていきます。その頃、酒粕煮にしていただきます。酸味が強いほど、酒粕煮はおいしくなります。
樽から出したばかりの野沢菜漬けはおいしいけれど、このような調理方法で食べる野沢菜もまた味わい深く心に残る一品です。

つけ根から1握〜2握り ここが最も美味しい

野沢菜は昔「蕪菜」などと呼ばれていました。長野県下には漬け菜としてこの他に稲核(いねこき)菜、羽広(はびろ)菜など数種類があります。しかし、現在ではこれらの漬け菜のほとんどが野沢菜にとって変えられています。
信州のどこへ行っても、漬け菜といえば野沢菜というほど、県内はおろか北海道から九州まで全国的に栽培圏が拡大しています。
それというのも、野沢菜は他の漬け菜に比べて味がすぐれているばかりでなく、収量が多く、経済的にも抜きんでているからです。

成長した野沢菜は、俗に「3尺菜」と呼ばれるように、その長さは1メートルにも及びます。
収量は10アール当たり4トン半から5トン半。本場の野沢菜は、根蕪の張りがたくましく、その大きさはご飯茶わんくらいで、1つの蕪から出る葉柄は通常5本、葉は上を向いて開き、葉柄の切口は円形で中溝深く、その溝巾の狭いものが良しとされています。
1番おいしいところは、蕪の付け根から拳1握りから2握りのところの葉柄の部分と言われています。

野沢温泉のいで湯のように 健康にいいこと色々・・・野沢菜の力

ガン予防に効果?!

野沢菜漬は、栄養素が豊富でガン予防にも優れた食品ということが研究発表されています。
野沢菜漬けは、ニトロソアミンという発ガン物質を抑えるのに十分のビタミンCが含まれているそうです。野沢菜漬けは1グラム中60ミリグラムものビタミンCが含まれており、これはどの漬物よりも高い数字です。ナスの漬物は6ミリグラム、キュウリの漬物は13ミリグラムなのでずばぬけて高いのです。また、ビタミンAに代表されるカロテンが多く含まれており、抗発ガン作用、免疫賦活作用があります。また、野沢菜漬けは、ヨーグルトと同じ乳酸菌発酵食品です。
乳酸菌発酵なので、野沢菜漬は成分が減りません。むしろ、漬けた方が成分があります。そして、神経や筋肉細胞の活動を活発にし、骨の構成要素に必要なナトリウム、カリウム、カルシウムが豊富で現代人の食生活には欠かせない食物繊維、亜鉛が含まれていることも発表されています。
亜鉛は、細胞や組織の新陳代謝に関わる酵素の成分となるミネラル。不足すると、毛髪が抜けやすくなる、皮膚や胃腸の障害、風邪を引きやすくなるなどの症状のほか、味覚障害に陥ることもあります。
このようにいろいろな栄養素が豊富な野沢菜漬けは伝統食でもありながら、健康志向の現代人にもぴったりの食べ物なのです。