観光スポット

社寺・史跡

つつじ山公園・百番観音

温泉街の北につづくこんもりとした高台がつつじ山。その名の通り山腹は約5000株のつつじの林で覆われ6月上旬から下旬はレンゲツツジ、ヤマツツジなどの群落で全山が真っ赤によそおいます。頂部は公園となり妙見菩薩をまつる社がたてられていますが、これに至る小道の両側には坂東三十三番、西国三十三番、秩父三十四番の観音霊場になぞられた百体観音石仏がたたずみ、なかなかの風情。眺めもまた素晴らしく、温泉街のかなたに望む北アルプス連峰や北信五岳など、はっとする美しさ。山麓にまつられた琴平(金比羅)神社は野沢十二勝の一つに数えあげられた観月の名勝です。

温泉薬師堂

温泉の守護仏である薬師如来をまつる堂で、古くは大湯の脇にありましたが、寛永年間に飯山藩主松平遠江守の別荘がその地に建てられることになり、健命寺横の現在の地に移りました。往事の堂は昭和7年に焼け、諸仏像も灰となりましたが、昭和28年11月8日に再建され、あわせて本尊薬師如来をはじめ脇侍、十二神将像が安置されました。これらの諸像の作者は昭和の仏像彫刻の第一人者であり、日本芸術院会員であった故大内青圃氏です。 本堂横には古い念仏碑も置かれています。

千仏堂

湯沢神社の西隣。野沢温泉村の鬼門除けとして建てられた由緒をもちます。清楚な堂内には、一尺ほどの金色仏が並び、そのかたわらに黒色をした10〜15センチの木彫仏が数百体。これら小仏像の造作は素朴であり真摯(しんし)であり、造仏奉納した昔人の素直な心がおのずと伝わってきます。

麻釜(おがま)

野沢温泉にある30余りの源泉の一つで、100度近い熱湯をこんこんと湧出、大釜・丸釜・ゆで釜・竹のし釜・下釜の大きな湯だまりをなしている麻釜は野沢温泉の奇勝の一つです。麻釜という名は、かつて伐り取った麻(あさ・お)をこの湯だまりにひたし、後で皮をむいたことから。現在は麻より特産のあけびづる細工に用いるあけびづるを釜にひたす光景が見かけられます。こうするとあの堅い皮もするりとむけるから不思議です。昔の人の生活の知恵ですね。生活といえば麻釜は野沢温泉の台所とも称されます。それは日常から地元の人々がここで山菜や野菜などをゆでたり、定期的に交代で掃除や管理を行っていることからもお解かりいただけるでしょう。

 温泉がここまで生活と密着して利用されているのは世界的にも珍しいことのようです。

野沢温泉小唄の碑

地方小唄中の名曲といわれ、作曲者中山晋平(なかやましんぺい)もいたくお気に入りであった「野沢温泉小唄」。これは昭和5年、雪の野沢温泉に晋平、作詞の時雨音羽(しぐれおとわ)、振り付けの藤間芳枝(ふじまよしえ)がそろって訪れ、興大いに湧いて創り上げたもので、今も野沢はもとより、信州各地で盛んに歌われています。この小唄創作の50周年を記念して麻釜わきに建立されたのが、この碑です。黒みかげ石の歌碑が、音羽の絶筆となりました。

薬王山健命寺

大湯前の坂を200メートルほど登った山腹に建つ曹洞宗の古刹。天正12年(1584)僧南室正舜(そうなんしつせいしゅん)の開基創建といわれ、本尊は伝聖徳太子作の薬師如来像。傑湯山とも号します。境内には本堂のほか山門、薬師堂、庫裏、鐘桜などが立ち並び、凛とした空間をつくっています。このうち本堂は重厚な木組みの大建築で、正面向拝の彫刻は後藤政綱の手になるもの。二層秀麗は薬師堂にまつられた薬師瑠璃光如来は上杉謙信の陣中守り本尊であったと伝わっています。

 さて、この健命寺は野沢菜発祥の地として有名です。それは、当寺八代住職晃天園瑞が宝暦年間(1751~1763)に京都遊学した折、天王寺蕪の種を買い求めて帰り、これを蒔いたところ葉と茎が異常に伸びて野沢菜に変異したのです。今でも健命寺産の原種は江戸時代の農耕方法で栽培されており、山門前には「野沢菜発祥の地碑」「園瑞彰徳碑」が並立しています。

湯沢神社

健命時の西に隣り合い、うっそうとした老杉の林立の中に、簡素にして品のある本殿が建ちます。ひときわ目を引く向拝の彫刻を作ったのは越後国頚城郡の岩崎嘉市良重則。正面中央にかかる扁額は、明治の元勲三条実美の揮亳です。この他境内には100段余りの急な石段、お宮の大欅と呼ばれ愛されている樹齢1000年を超す巨欅、松尾芭蕉句碑などの石碑が趣深く並びます。  例祭は毎年9月8、9日。灯籠祭りの名のとおり花灯籠・灯籠行列はあり、獅子舞も登場。中でも圧巻は猿田彦神の"シメ切り"。また夜空に輝く花火も盛大です。